DK スギヤマ

DK Sugiyama 株式会社ILI 代表取締役社長(MBA)
グローバル・ビジネス・プロデューサー
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DK スギヤマ


20代は自己投資、30代は人脈投資、40代は事業展開
――プライスレスなネットワークと信頼関係で、新規事業(第2ステージ)へのチャレンジが始まります。

Profile

DK スギヤマ 株式会社ILI 代表取締役社長(MBA)
グローバル・ビジネス・プロデューサー

1979年東京都生まれ、ニューヨーク育ち。19歳で起業。慶應義塾大学総合政策学部卒業。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了(MBA取得)。
インタビューシリーズ『私の哲学』編集長としてさまざまな業界の先駆者、リーダー、経営者を15年間にわたり取材。「決断と行動するDOers」を紹介する情報サイト編集長。
著書に『行動する勇気』(フォレスト出版)、『運を動かせ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『DDDD[ドゥドゥドゥドゥ]──「行動」だけが奇跡を起こす』(自由国民社)。大型二輪免許。1級小型船舶操縦士。3男1女、4人の子供の父親。
自らの価値を市場で生かせていない人の価値を向上し、サポートし、共にビジネスを作り上げ喜びと利益をシェアする「グローバル・ビジネス・プロデューサー」として多忙な日々を送る。力強く、スピーディー、エネルギッシュ、そしてグローバルな視点でビジネスを展開中。

Index

見出し

2020年、社名を変更してアップグレード

2007年に、コミュニケーション問題の解決を図ることを目的とした、株式会社インターリテラシーを設立しました。“リテラシー”とは読み書きなどの能力のことですが、今では、必要な情報を抜き出して整理し活用する能力を表していて、金融リテラシーや環境リテラシー、情報リテラシーなどの言葉がよく使われています。
“インター”には「相互」という意味があり、確固たる専門性とアイデンティティーを持ち、さまざまな分野を結びつけてビジネスを成長させるというコンセプトから、社名を「インターリテラシー」としました。

そして、日本を拠点に本格的に海外展開を行う体制が整った2020年7月、社名を株式会社ILI(アイエルアイ) にアップグレードしました。ILIは、INTER LITERACY INSTITUTEの頭文字です。インターリテラシーを立ち上げたときは、目の前のことに対応するのが精一杯で企業理念を考える余裕はなかったのですが、ILI では「Do the Right Thing」と定めました。これは、クライアントのことを第一に考え、「常に正しいことをやる」という起業当初からのビジネス姿勢そのものです。
インスティテュートとあるように、マーケティング・経営・新規事業など、さまざまな分野においてクリエイティビティーを武器に、ILIは研究開発と実践を行う戦略的集合知研究所として活動しています。

19歳でビジネスキャリアをスタート

僕は東京で生まれ、父の仕事の関係で3歳から中学3年生までの13年間をニューヨークで過ごしました。1995年、阪神淡路大震災の直後に帰国し、東京学芸大学付属高等学校大泉校舎に入学。その後、慶應義塾大学総合政策学部に進学し、19歳のとき高校時代の恩師と共に教育コンサルティングの会社を立ち上げました。これが僕のビジネスキャリアのスタートです。昼間は大学、夕方授業が終わると会社に行き、終電まで仕事をするという二足のわらじ生活を卒業まで続けました。
卒業後は、経営について本格的に学びたい、以前からMBAを取得したいと考えていたこともあり、慶應義塾大学大学院経営管理研究科(慶應ビジネススクール)に進みました。
22歳から24歳までは3時間程度しか睡眠が取れないほど、勉強と仕事で多忙な毎日。しかも22歳で結婚、翌年には長男が誕生し、文字通り目の回る日々を過ごしました。このハードな2年間を乗り越えることができたのは、懸命に支えてくれた妻のおかげと感謝しています。

修了後にインターリテラシーを設立、以来あらゆるジャンルのビジネスにチャレンジする一方で、2007年から各界で活躍されているオピニオンリーダーに、自身が大切にしている哲学や信条を伺い、未来を生きるヒントを発信する『私の哲学』という情報サイトの運営をスタートさせました。建築家・隈研吾さん、プロゴルファー・青木功さん、日本画家・千住博さん、プロスキーヤー・三浦雄一郎さん、ファッションデザイナー・ドン小西さん、オムロン会長・立石文雄さん、タキヒョー名誉会長・滝富夫さんなど、現在までに99名の方にご登場いただいています。
教科書では学ぶことのできない苦労話や成功秘話を通じて、トップランナーに共通する「6つの力」を発見し、TEDxで講演したり、3冊目の拙著『DDDD[ドゥドゥドゥドゥ]──「行動」だけが奇跡を起こす』(自由国民社)としてまとめることもできました。第一線で活躍されている方々へのインタビューは、すべて僕の貴重な財産です。

立石 文雄
千住 博
滝 富夫
青木 功
George Ariyoshi
隈 研吾

2018年からは、30代後半から50歳までの現在進行形で活躍する人にフォーカスした、情報サイト『決断と行動するDOers』の編集長としても活動しています。
そのほかにも、コンテンツ配信サイト「note」で『Doちゃんと僕』という漫画を連載しています。これは友人で仕事仲間でもある佐渡島庸平さんとのコラボ企画で、僕の代名詞とも言える「Do」「行動」のエッセンスを盛り込んだ子供も楽しめる漫画です。作品に登場するキャラクター、Doちゃんのグッズも販売しています!

「桃栗三年柿八年、杉山大輔10年」

20代は、毎日がむしゃらに行動していました。一つ一つの仕事をレンガに見立て、これ以上できないほど完璧に、一生懸命に、綺麗に、コツコツ並べてきました。丁寧に積み上げていくことが信用につながり、続けることで大きな壁をつくることができます。
20代・30代はビジネスの土台作りで、木でいうと幹の部分。しっかりと土台作りを行ってきたことで、ようやくここまできました。「桃栗三年柿八年、杉山大輔10年」と自分では言っているのですが、資金繰りが悪くなったり不渡りを出したりと、困難な出来事があっても決して逃げることなく、「まずは10年、絶対に会社を潰さない」という思いで一歩一歩歩んできました。

40歳、まさかのうつに!

社名を変えてアップグレードし、ギアチェンジを図ったのは、40歳を過ぎて自分が人生の後半戦に入ったことを意識させられる体験をしたからです。
それは、まさかのうつ病です。
マグロは常に泳いでいないと死んでしまいますが、僕も休むことができない性格で、「DoDoDoDo(ドゥドゥドゥドゥ)」「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」がモットーの、ひたすら突っ走る人間でした。
そんな僕が、39歳になって初めて「疲れ」を感じるようになりました。休むことを知らないためにいつの間にか疲労が蓄積し、限界に達したのでしょう。
2019年2月、多忙で疲労が重なったのか家の中で倒れ込み、一瞬意識を失ってしまいました。妻が慌てて救急車を呼びましたが、取れると思っていた大きな仕事の打ち合わせが入っていたので、救急車には乗らず打ち合わせに行きました。でも、その仕事を取ることはできませんでした。

それ以降は意識を失うことはありませんでしたが、元気いっぱいとはほど遠い状態が続きました。病院で検査を受けても特に問題は見つからず、病気でもないのに倒れてしまったことに大きなショックを受けました。
地下鉄に乗っていて突然倒れそうになったり、朝は起きられなくて夜は眠れず生活のリズムがどんどん狂っていき、鏡を見ると顔色は青白く、死んだような目をしています。
それまでずっと「目の前のことを一生懸命やる」生活を続け、体調管理を怠っていたために、体は問題なくても、メンタルはダメージを受けていたのです。

自殺を考えたことも

僕は、30代前半から「今のままだと、いつかうつになるよ」「細かいところに気を使うし、絶対にうつになるタイプ」と言われていました。その度に、「そんなことないですよ」と笑っていたのですが、実際うつになり、「みんなが言ってたのは本当だった」と納得すると同時に、刃物で刺されたようなショックを受けました。刃物で刺されると外傷はそれほどではなくても、刺されたショックで死んでしまうと言います。それだけ、メンタルのダメージは大きなものなのです。

明け方3時頃に目が覚め、そのまま昼の12時ぐらいまでベッドから出られず、横になったままスマホでうつについて調べたり、「うつぬけ」の映像を見たりしていました。スマホのバッテリーが残り1%になっても、手元に電源コードがあるのにコンセントに差し込めに行けない、体を動かすことができないのです。
落ち込んだら明るい音楽を聴くといいなどと言いますが、それはまったく効果がありません。

飛行機に乗るとき、今までは当然、飛行機が落ちてほしくないと思います。ところが、うつのときは、「飛行機が落ちればいいな」と思ってしまいました。高層ビルでの打ち合わせで窓から下を見ていて、「飛び降りれば解決するな」と本気で飛び降りようと思ったこともあります。
約8か月間うつ状態で動けなくなり、家の中の空気は重く暗くなり、子供たちは不安を感じていたと思います。

元気な挨拶と、親仲間からの温かい言葉が救いに

うつ状態のある朝、自宅の近くを歩いていると、お寺の掃除をしているおばあさんが、「おはよう! いってらっしゃい!」と声をかけてくれました。元気な声が強く心に刺さり、「挨拶って、すごくいいな」と素直に思いました。挨拶には、心を開いて相手に近づくという意味がありますが、おばあさんの元気いっぱいの挨拶にパワーを感じました。
2014年に初めての拙著『行動する勇気』(フォレスト出版)を出した後、「杉山さんに会いたい」とオフィスを訪ねて来てくれる読者が何人もいました。彼らから、「杉山さんと会えて良かった。すごく元気が出ました」と言ってもらっていた自分が、うつになって逆の立場になり、挨拶のひと言がとても心にしみました。

長男・次男・三男、そして長女が通った幼稚園で、最後の年に妻が父母会の会長になってほしいと頼まれました。しかし、「夫が今大変な状況なので、ごめんなさい」とお断りしました。
子供たち4人で10年以上お世話になっているので、僕は父母の間ではちょっとした有名人でした。その僕のうつ病が断った理由だとわかると、「うちの夫もそうだったよ」と父母会長を引き受けられないことに理解を示し、「40歳を超えるとよくあるよね。元気な人に限ってうつになるのよ。良い病院を紹介してあげようか」などと温かい言葉をかけてくれました。

周囲の人たちの「大輔さん、どうしちゃったの?」と、心配する言葉をとてもありがたく思いました。

京都アニメーション事件と鈴木エドワードさんの死

ある事件が回復のきっかけになりました。うつ状態になった年の7月、京都アニメーションの放火事件が起こりました。多くの若い人たちがガソリンを撒かれて火をつけられて亡くなったことに、大きな衝撃を受けました。
そのとき思ったのは、彼らには次の日や来週、来月にいろいろな予定があったのに、それが全部実現できなくなってしまったということ。事件で亡くなった方たちの気持ちを思ったとき、自分は生きているんだと実感しました。

同じ年の9月には、建築家の鈴木エドワードさんが亡くなりました。その次の週に打ち合わせをする予定だったので、突然の訃報にとても驚きました。
エドワードさんも、予定していたことがいろいろあったはずですし、僕も彼と一緒にやりたいこと、話したいことがたくさんありました。とても残念に思うと同時に、自分にはやりたいことがたくさんあって、それをこれからできることに対する感謝と前向きな気持ちが生まれました。

「薬に頼らないほうがいい」

以前からの知り合いである精神科医の松薗りえこさんの著書『心の病が癒される あるがままメソッド』には、「薬を飲んではいけない」と書いてあります。それは、飲み始めると薬漬けになってしまうからです。
体調が絶不調のとき、助けてもらいたいと思って彼女に連絡を取り、「今、こんな状態なんだけど、もしかしたらうつなのかな」と相談しました。すると、「薬を飲めばすぐに元気が出るかもしれないけれど、薬を手放すことができなくなる」とアドバイスされました。そして、「あるがままのメソッド」による心の鍛え方を教わり半年間ほど続けてみました。
うつはすぐには回復しません。「昨日調子が良かったのに、今日はまた調子が悪い」。良くなってきたと喜んでも、翌日またガクッときてしまう。3日間寒く、4日間温かい日が続く「三寒四温」のように、良い状態・悪い状態を繰り返しながら徐々に回復していきます。

長男の言葉も回復につながりました。
僕は10年以上ゴールドジムの会員でしたが、ジムに行く気にまったくなれず解約しました。鍛えなくなったので体は細くなり、以前の体型を知っている人からは、「痩せましたか?」と言われることもありました。長男のことを、「お前の胸はベニヤ板か」と笑っていた自分が、同じような体型になってしまいました。
ある日息子が、「お父さんと一緒にジムに行きたい。トレーニング方法を教えてほしい」と言いました。おかげで、「よし、ジムに行こう!」という気力が少しわき、長男と一緒に行くようになりました。
精神科医の適切なアドバイスと長男の言葉が同時進行で生まれ、回復へとつながったのです。

うつから得た「大切な気づき」

うつ状態にあったとき、僕に大きな仕事を任せようと考えた先輩がいたのですが、元気のない様子を見てほかの人に回したそうです。後日、「大ちゃん、あのときの元気のない自分に仕事を出すかい?」と聞かれ、「出さない」と答えましたが、当時は、「元気がないときこそ、お情けでもいいから仕事がほしい」と思っていました。
しかし、前向きでエネルギッシュに行動できる人と一緒に仕事をしたいと思うのは当然のこと。そこで、元気でいるためにはどうしたらいいかを考え、楽しく仕事することを意識するようになり、今は、疲れたときにはきちんと休むことを心がけています。

病気になってから2年経ち、やっと自分の口から、「僕はうつ病でした」と言えるようになりました。これはとても大事なことで、回復の証しでもあります。
飲み会などで、「杉山さんはすごくアグレッシブですね」と言われ、「そんなことないですよ。2年前にうつになりましたから」と話すと、「僕もそうでした」と言う人が意外と多くいます。このように、自分から話すことが大事だと思います。

僕が実感したのは、もしうつになったら、周りの人に助けを求めるべきだということです。経営者は人に弱音を吐くことができず、うつ病になる人が多いのですが、周囲は気づかないため誰も救いの手を差し伸べません。
困っているのであれば、誰かに話しましょう。
「困っている」「助けてほしい」と勇気を出して言いましょう。
僕は「行動する勇気」という言葉が好きです。勇気とは、良いものに対しては良い、悪いものに対しては悪いと言うこと、謝るべきときにきちんと「ごめんなさい」と言うこと、好きな相手には「大好きだよ」ということです。

人に助けを求めるのは、決して恥ずかしいことではありません。自殺をしてしまうのは、助けを求めることができなかったから。助けを求めて、「I need help」と言うことが、今の日本人には必要ではないでしょうか。
「杉山さん、ちょっと話を聞いてもらえますか」と言われれば、僕は喜んで耳を傾けます。困っていたら、僕に言ってください。

日常生活においては、朝はきちんと起きて太陽の光を浴びる、規則正しい生活を送る、ときにはゆっくり休むことも大切です。
うつを経験したことで、身近にもうつを経験している人がいること、世の中には心の病やメンタルヘルスのトラブルから、自殺する人がとても多いことを知りました。また、人はどうしても体が動かせないときがある、元気を出せないときもあることを知り、以前よりも相手の気持ちに寄り添えるようになりました。大切な気づきを得た経験でした。

資格を強みに

僕の会社は小さなベンチャー企業で、知名度がありません。そのため、市場価値を高める一つの策としてさまざまな資格を取得しています。MBAをはじめ、英検1級でネイティブレベルの英語力、オックスフォードティーチングプログラムという子供に英語を教える資格も持っています。一般社団法人生命保険協会の一般課程試験に合格し、保険を紹介できる代理店の資格を持っています。大学時代は、長かった通学時間を利用して簿記を独学で勉強して2級を取得。また、大型二輪免許、1級小型船舶操縦士を取得していて、バイクや船をきっかけに多くの経営者と接点を持つことができ、人脈を広げるきっかけになっています。

資格を生かし、20代半ばから10年間、子供たちに英語を教えていました。毎週土曜日に自分の子供や知り合いの子供たちを児童センターに連れて行き、オリジナルのプログラムで英語を教えます。午前のレッスンが終わるとみんなでランチを一緒に食べて、午後もレッスンです。
教育は、長く続けなければ意味がありません。始めた当初から10年は続けようと思い、毎週ずっと休まずに続けました。大阪から始発の新幹線に乗って駆けつけたこともあります。ソニーの元会長 出井伸之さんの会社を手伝うことになった関係でこのキッズ英語はやめましたが、10年続けたことが、自分の子供たちやその友だちと今でも仲良くできている理由だと思います。

小さい頃に親と一緒に遊んだ思い出は、大きくなっても子供の心に残ります。中学生になってからでは遅いと思います。一緒に遊ぶ、子供の話をきちんと聞く、子供の年齢に関係なく個を持った一人の人間として接する。これらが子育てにおいて大切なポイントです。
長男とは年齢が二回り違いのためか、歳の離れた兄弟だと思われたこともあるほど、僕は子供たちとたくさん一緒に遊んでいます。そして、我が家は自慢の素敵なファミリーになりました。

「杉山さんって何をしているの?」と聞かれる理由

「僕は、グローバル・ビジネス・プロデューサーです」。そう自己紹介しても、相手の人はどんな仕事をしているのかピンとこないようです。この肩書が、既存のどの職業に当てはまるのかわからないからでしょう。
「英語を教えています」と答えれば英語教師だとわかりますが、あらゆるビジネスを展開している僕の仕事を端的に表す言葉がありません。
「『私の哲学』の編集長で、多くの著名人を取材しています」
「DOersの編集長をしています」
「Webデザイン会社の社長や、錦鯉の生産販売会社の社長をしています」
「セミナーの講師や通訳をしています」
どれも僕の仕事です。

僕は母にとって「息子」であり、姉にとっては「弟」、妹にとっては「兄」、妻にとっては「夫」、子供たちにとっては「父」、仕事相手にとっては「ビジネスパートナー」、社員から見れば「社長」です。世の中にも、会社では「社長」で、家に帰ると「母親」という人もいるでしょう。僕は同様に、仕事においてもいろいろな顔を持っています。
みなさんにも、一つの仕事にこだわるのではなくさまざまな仕事にチャレンジし、社会でいろいろな役割を果たしてほしいと思います。

あらゆる要望に対応するILI

複合的な問題が起きる現代社会では、問題を発見する力と、それを解決するためのツールを活用する力が必須です。僕が学んだ慶應義塾大学総合政策学部(SFC)は、政治・経済・文学・社会学から、建築・プログラミング・デザイン・芸術まで多様な研究分野があります。自分で好きなカリキュラムを選ぶことができ、「問題発見」→「問題解決」を軸に、学際的に学べることが特長です。

ILIも「問題発見」→「問題発見」→「代替案提案」→「実行(DO)」のフレームワークでビジネスを展開していて、SFCやビジネススクールで学んだことがベースになっています。
僕がビジネス・プロデュースする目的は、「世の中の人の価値を高める」こと。相手の状況によってあらゆるサポートを提案し、さまざまなビジネスを学際的に、国際的に、そして分野をまたいで展開しています。

株式会社ILIの事業内容

ILIをひと言で表すとすると、「デジタル商社」が当てはまるかもしれません。具体的に事業内容を紹介しましょう。

Value added creation
ILIは、プロフェッショナル集団です。これからの時代、過去のトレースではなく新しい価値の創造が求められます。そのために必要不可欠な個人の力をフル活用できる組織力で、「本質的な問題発見・問題解決」「代替案提案」「実行」のシンプルなフレームワークを用いて体系的なコンサルティングを行います。

ミッション コミュニケーション活動を大切にし、クライアントのニーズに対して、常に最適なソリューションを提供する
バリュー クライアントの期待を上回る説得力とクイックネス
選ばれる理由 新しい価値の提案、市場間の連携と絶対に諦めない姿勢

2007年の設立当初から、以下3つの事業を中心にビジネスを展開しています。

1.ビジネス・プロデュース

国内企業の海外展開、海外企業の日本展開を支援。文化の異なる国での円滑かつ良好なコミュニケーション活動のために、豊富なネットワークと的確な課題解決力でサポート。クライアントの商品・サービスの特性を生かした、双方向のビジネスマッチングを行います。

□新規クライアントの開拓、企業及び人物の紹介/ブランディングに役立つ活動およびアドバイス/ビジネスプランの作成・実行など

2.ビジュアル・クリエーション

クリエイティブ部門は、ウェブサイトや写真、映像などのデジタルメディア、パンフレットやカタログなどのプリントメディアなど、すべてのメディアに対応。 既成概念にとらわれない斬新なクリエーションで、ブランドイメージの向上をサポートします。

□商品開発/イベント制作/ ウェブ制作/グラフィック制作/ロゴデザイン/コピー制作/エディトリアル制作など

3.マーケティング

クライアントのニーズを正確に把握・分析し、マーケティングのコンサルティングから企画・制作・実施まで行います。加速するグローバル化を見据え、日本国内における外国人市場も意識した、企業価値向上のための最適なソリューションを提案します。

□問題発見コンサルティング/課題解決プレゼンテーション/成果分析・販売分析・オンライン統計分析など

2020年に社名を変えてアップグレードすると同時に、不動産取引と人材紹介の免許に加え、アート作品を取り扱うために古物商許可証を取得。今後、下記の新規事業も手がけていきます。

4.不動産事業

未公開物件と1億円以上の高額物件を対象に、不動産資産に関する買い手と売り手のマッチングを行います。海外とのやり取りも可能です。

5.人材紹介

雇用主と働き手のマッチングにより、人材の流動化を推進。年収2千万円以上の求人が対象です。

6.古物取引

絵画などのアート作品だけでなく、希少価値の高い高級車なども取り扱います。いずれも1億円以上の物件が対象です。

7.コスト削減

オフィス・事業所・店舗などにかかるさまざまな間接コストに対して、当社が保有するデータベースから適正価格を算出し、スタッフがお客様に代わって価格交渉を完全成功報酬型で行います。

□削減額無料診断/徹底した現状調査/交渉代行/SP調整/改善結果報告

重要なのは「Know How」よりも「Know Who」

不動産業、人材紹介、古物取引では、富裕層マーケティングを展開しようと考えています。不動産事業部では、未公開物件を取り扱います。本当に良い情報はネット上にはありません。「足で稼ぐ」これは人材紹介、古物取引でも同じです。

僕の営業姿勢は、きちんと挨拶をすること。コロナ禍ではありますが、ネットですべてのやり取りを完結するようなことはしません。ピカソの絵を売りたいという人がいれば、場所を問わずすぐに飛んで行きます。5分、10分でもいいので、実際に顔を合わせることを信条としています。

日本ではノウハウを提案するビジネスが主流ですが、僕のポリシーは「誰とビジネスをやるか」。ノウハウ(Know How)よりも、ノウフー(Know Who)を重視しています。
良い情報は良い人脈から入ってくる、だからノウフーが大事。ネット上だけの付き合いでは、良い人脈はつくれません。

バックキャスティングで人生をデザイン

僕は「バックキャスティング」という考え方を大事にしています。現在から未来を考えるのではなく、将来の「ありたい姿・あるべき姿」から、今を考える思考法がバックキャスティングです。未来のありたい姿を起点に、今何をどうするべきか、解決策を見つけていきます。

キッズ英語を10年間続けたように、ビジネスで常に意識しているのは、何事もやると決めたら10年は続けることです。新規事業の不動産業、人材紹介、古物取引を1年や2年で結果を出すことは難しいですが、10年頑張ればある程度の形になると思っています。10年という期間が「1万時間の法則」に当てはまるとすると、どの事業も僕が50歳になったときには大きく展開していることでしょう。

19歳で会社を立ち上げたとき、「20代は自己投資」「30代は人脈投資」「40代は事業展開」と10年ごとにバックキャスティングしてきました。今こうして新規事業にチャレンジできるのは、20代・30代にプライスレスな人脈作りを行ってきたからです。
一流の人たちの考え方、行動パターンを知りたいと思い始めた『私の哲学』で、さまざまな著名人に会うことができました。スポンサーを持たず、取材会場の手配から、写真撮影、ウェブページと冊子制作、翻訳まですべて自社負担で行いました。インタビューした時間は僕の教育の場、勉強の場となり、この学びへの自己投資が今の事業の基盤ともなっています。
これから50歳になったときを見据え、さらにスケールアップしたビジネス展開を実現します。

新たなチャレンジは続く

ILIの新規事業は、僕にとってキャリアチェンジと言えるかもしれません。社長という立場は起業当初から変わりませんが、Webデザインの仕事からスタートして、編集長、錦鯉の生産販売、不動産業、人材紹介、古物取引と行動するフィールドはどんどん広がっています。それぞれの業務を確実に実行できる強力な仲間たちを、20代、30代と桃太郎が鬼退治の仲間を探すように、きびだんごを使ってリクルートしてネットワークを築き上げてきました(笑)。
これまで積み重ねてきた実績と信頼関係を武器に、人生の後半戦に向けて、これからもずっと新しいチャレンジを続けていきます。

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山下 誠司 Seiji Yamashita 株式会社アースホールディングス 取締役
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