平瀬 智樹
Tomoki Hirase 株式会社GENOVA 代表取締役忍耐と継続性という武器こそが
営業マンとしてのキャリアを
積み上げる。
少しでも早く社会に出たい。その一心で高校を中退し、紆余曲折を経て飛び込んだITの世界。そこで培った経験をさらに増幅するため降り立ったニューヨークの地で、平瀬氏は大きな挫折を味わう。辛酸を嘗めた後、帰国した日本で誓った再起。その糧は、積み上げてきた継続性という実績だった。
Profile
株式会社GENOVA 代表取締役
1978年生まれ。高校中退後いくつかの職を経て、1997年にITベンチャー企業に創業メンバーとして入社。6年間の在職の中で、同社の株式公開にも携わる。2003年にアメリカへ留学。2005年帰国後、同年7月に株式会社GENOVAを創業。医療に特化したデジタルコミュニケーション/サービスを包括的に展開する他、スポーツチームへのスポンサードなども積極的に展開している。
肌で感じたインターネットの未来
小学生の頃は、偉人伝や経営者の自伝的な本が好きで、読んできたばかりの知識を引っさげては、「松下幸之助すげぇ」みたいなことを熱く語る少年でした。そういう思いがあったからなのか、高校受験のときには進学せずに就職することも考えましたが、周りに説得されて高校には行くことに。けれど長続きせず、結局は高校2年生で退学。高校生活よりも、早く就職してお金を稼ぐ道を選んだんです。そうして初めに就いた職が、某大手印刷工場の作業員。日給2万円の報酬は当時の私には十分過ぎる金額でしたが、ずっとベルトコンベアに付きっきりの超単純作業が苦痛で、4ヶ月くらいで辞めてしまいました。その次の仕事が、まだ出始めだったPHSのアンテナ立て。この仕事は毎日現場が違うし、作業はいろいろな行程やパターンがあって意外と面白かった。
PHSのアンテナ以外に固定電話の回線を繋ぐ業務もあったんですが、あるとき台場の大きな体育館で、翌朝までに200台の固定電話回線を繋ぐという現場に入りました。作業中は分かりませんでしたが、蓋を開けてみたら、そこはWindows95の日本発売に合わせたコールセンターでした。翌日になると朝からひっきりなしにすべての電話が鳴り出し、そこで気付いたんです。これからはインターネットの時代だ、通信業界に居ないと駄目だ、と。当時まだ18歳。右も左も分かりませんでしたが、とにかく別のIT系ベンチャー企業の営業職に転職しました。
日本で掴んだ成功を手放し、NYで挫折
そこでは当初、ピンクの公衆電話を売っていました。昔よく飲食店にあったあれです。初めは「携帯電話だPHSだと言っている時代に、こんな電話が売れるのか?」と思ったんですが、売れたんですよね、これが。けれど最初の月の営業成績は最下位。まだ何も知らない19歳ですから仕方がない。でも私には、絶対に一番になれる自信がありました。なぜなら、営業部の中で誰よりも断られている回数が多かったからです。それはつまり、誰よりもアタック回数が多いということ。だから絶対イケると信じていました。思えばその時は、工場の経験が活きたんだと思います。深く考えずに、とにかく淡々と数をこなす作業ですから。案の定、コツが分かり始めてきた2ヶ月目くらいには、一気に営業成績がトップになりました。そこからはずっとトップ。土日も休まず、相変わらず誰よりも営業しまくっていましたから、当然といえば当然ですよね。
自ずと立場も上がっていき、営業管理を務めるようになっていましたが、入社から6年ほど経った頃、休職願いを出してニューヨークに留学したんです。漫画の世界でも現実の世界でも、成功している人って、みんなアメリカに行っているじゃないですか。だから私も行かなくては、と。しかし、勢い勇んで向かったニューヨークは、私にとっては挫折の場所でした。まずもって、まったく英語が上達しない。もちろん語学学校には通いましたが、語学学校は基本的にお昼で終わります。普通はその後バイトしたりして実践で英語に慣れていくんですが、私の場合、午後からの時間を株のトレードに当ててしまったんです。ちょうどITバブルの時代でしたから利益も結構出せたので、どんどん面白くなり自信も育つ。自然と、英語そっちのけで株や経済についてばかり勉強していました。おかげで、英語はあまり身に付きませんでしたが、会社の決算書や事業計画書などは見られるようになりましたね。それで語学学校に1年通って卒業した頃、前職の上司から、海外で仕事をするから手伝ってほしいとの話が舞い込んできました。当初は語学学校を出た後は大学に行こうと考えていて、事前に大検も取っていたんですが、「大学なんて行くよりも、海外でこのまま仕事した方が良いんじゃない?」と誘われ、確かにこれはチャンスかもと思いOKしたんです。でもいかんせん英語ができなくて、行かされた先が、まさかのタイ。私はてっきりアメリカで仕事できると思っていたのに、タイですよ。一応行ったは行ったんですが、半年で辞めて日本に帰国。それから自分で会社を起こすことにしました。それが今のGENOVAです。
創業のきっかけとGENOVAの意味
ちなみにGENOVAという社名は、会社の登記日を7月4日のアメリカ独立記念日と決めていた中で、アメリカ大陸を見つけたコロンブスはどこの出身だったかを調べたら、ジェノバだったんです。そこからさらにジェノバという街を掘り下げてみると、大航海時代の世界三大港町のひとつでした。当時ジェノバから多くの船が出港して、アメリカ大陸を筆頭に、さまざまな世界を発見していった事実を知り、まさに私の会社にピッタリだと感じたんです。
実は、私が起業したのはそれが初めてではありません。その前にも一度、ニューヨークで起業しています。しかもその起業に至った経緯が、当時付き合っていた彼女に振られたから(笑)。やけになって、裏切らないものが欲しいと思い起業したんです。恋愛って、自分ではどうしようもないところで駄目になってしまうことがありますよね。それが嫌で、全て自分の責任として、コントローラブルなものが欲しかった。でもアメリカでの起業は、語学の問題や営業方法の規制などもあり、まったく上手くいきませんでした。
GENOVA躍進を支える営業指針
GENOVA立ち上げ当初から、インターネット事業をやることは決めていました。そこでまず始めたのが、企業向けのブログサービス。コードを打たなくてもWordのように手打ちすれば、ネットにブログがアップできるソフトを開発して販売したんです。するとこれが見事にヒット。しかしITの成長はとても早く、あっという間にCMSが当たり前になり、私たちのサービスは新しいものではなくなってしまった。では次にどうするかと考えたとき、かねてから発注の多かった医療業界に特化することにしたんです。加えて当時はPCサイトばかりでしたので、これをモバイル化する。するとそれがまたもヒット。そこから同じパッケージを横展開し、営業に営業を重ね、徐々に今のGENOVAのカタチが確立されていきました。
それらのサービスを売る際、何か特別な営業を行っていたかと言われると、決してそうではありません。私が営業の人間を教育する上で重要視していることは再現性です。大切なのは、誰でも実践できるマニュアルを用意し、それを淡々とこなしてくれる人材を増やすこと。私自身、決して自分が営業に強いとは思っておらず、あくまでベーシックな営業をコツコツと続けてきた人間です。基本の『き』を丁寧に、そして継続的に実践することの大切さ。そういうことを、営業スタッフには常日頃から伝えています。極端な話で言えば、「スーツはネイビーで揃えなさい」という部分から入ります。そして、お客様にはまず初めに弊社について説明することを徹底しています。凄腕営業マンは会社案内ではないところから入ったりしますが、うちの場合は、まず会社案内をきっちり行う。そういった基本的なことを重視しています。
それから、売上を上げろとは絶対に言いません。ノルマもなし。私からの要求は、「1カ月の中で何かひとつでも契約を取ってきなさい」ということだけです。なぜなら営業の組織が駄目なときは、必ずゼロの人がいるんですよ。彼らはつまり、何もしていないんです。そういう人間が組織にいることが一番マズイ。だから「何でも良いから、とりあえず最低1件は契約してきなさい」と言います。実際こういう医療関係の法人営業を1カ月やれば、どんな人間でも1件は取ってくるものです。お客様はみなさん人情がありますし、中には1,000円程度のサービスだってありますから。それにそういうルールにしておくと、もし仮に月末ギリギリまで契約がゼロだったとしても、全力で取り組んでいれば必ず仲間が助け舟を出してくれるはず。これがノルマ月100万円だと難しいですが、1,000円のサービス1件で良いのであれば、「俺のお客様に代わりに売ってきてやるよ」となりますよね。そうすることで営業組織全体が活性化して、より一体感が生まれると考えています。
変わらない姿勢と進化させる未来
私は決して自分に営業力があるとは思っていません。営業のセンスや技術で言えば、5段階中2〜3程度だと自己評価しています。ですが奇をてらわず、真摯に丁寧に説明することと、諦めず努力し続けることに関しては、4を下回ることはないと思います。けれど最近は、企画力とアイデアだけで起業される方も多いですよね。もっと言えば、忍耐を良しとしない風潮がある気がします。しかし私は、忍耐と継続性を武器にここまで来たと自負していますし、これからもそのスタイルを変えるつもりはありません。そしてその姿勢を続けることが、社員たちの教育にも繋がると信じています。
ここ3年ほど前から、弊社では医療業界に特化することを宣言し、医療系のホームページばかり手掛けてきました。この3年間でさまざまな知見が溜まり、今ではいろいろなツールを保有しています。例えば去年から始めた、お薬手帳のアプリなどです。そういった知見とツールをさらに進化させ、今後はスマートフォンを介して医師と患者を繋ぐ、遠隔診療のサービスなどを展開していく予定です。スマートヘルスケアやヘルステックといったジャンルのサービスは、これからもっと発展していくでしょう。
おかげさまで私たちは、病院系のホームページ制作実績No.1の称号をいただくことができました。ですから次はその実績をさらに飛躍させ、ITと医療を繋げるサービスでもNo.1を取り、より多くの方々に、便利で健康な暮らしを提供したい。それが今後GENOVAが志すべき道だと、私は強く確信しています。